イスキアはいずこに

五月の初め、ついでがあって、吉母という浜を訪れた。
 連休中のよく晴れた日だったが、人影といえば、海辺では子どもが二、三人釣りをしているくらいだった。海水浴の季節以外は誰も来ないのだろうか。
 砂の透けてみえる透明な海が珍しくて、何にもない浜をただ眺めて時を過ごした。そのうちお腹がすいてきて、道の駅で買った鳥飯のおにぎりを食べたら、いつもは、胸につまってくるような気がして、一個で充分なところなのに、これがいくらでも入る。
 学生時代、バイト先の焼き鳥屋のおばさんと、山菜を取りに行った時に、二人で海苔のおにぎりを「山は空気が違うからだよ」と言いながら六個ほど食べてしまったことがあった。心がほどける場所だと、おにぎりも格別の味になるのだろう。
 岩木山の麓で、「森のイスキア」という心悩める人々が集う場所を主宰している佐藤初女さんの『愛蔵版 初女さんのお料理』(主婦の友社)という新刊に、「おいしいおむすびを作るには」という章がある。
「おむすびを見ただけで、亡くなったお母さんやおばあちゃんを思い出して涙がこぼれる。おむすびには言葉にできない深いものが秘められている。そんなふうに思います。「イスキア」に見えるかたもみなさん、「おむすびを食べさせてください」と希望しますので、わたしはほとんど毎日作っています。おむすびを食べると、みなさん落ち着きます。おむすびをおいしくにぎれるだけでも人に慰めを与えることができると思うと、おむすびをにぎるというのは小さいことのようだけれど、大きいことなのだと感じます。」
龍村仁監督「地球交響曲 第二番」で、ジャック・マイヨールダライ・ラマに並んで、森のイスキアでの活動が紹介されたのが95年だという。この映画で梅仕事や独特のおむすびが有名になり、この二十年近くは、「糧をわけあう」といったそれまでのありかたとは、桁違いの量の需要があったことだろう。食べたいからと言う人にまで梅干しを準備するにも大変なことだろうなぁと下世話にも思ったが、『佐藤初女さんの心をかける子育て』(小学舘)にも、初女さんのおむすびは載っているが、いくら取り上げられても、初女さんの手つきの丁寧さは変わらないようだ。
佐藤初女さんの心をー』には、自死を選ぶつもりでいた人が、家族の勧めでイスキアを訪れたものの、一晩眠れず、やはり死への迷いを抱えたまま新幹線で戻ることになった時のエピソードが紹介されている。イスキアでは何も食べられなかったその人は、初女さんが持たせてくれたタオルにくるんだおむすびを食べようとして、海苔が湿気ないようにしている心づかいに気づき、「自分のためにこのように心配してくれる人がいるのに、なんて馬鹿なことを考えていたのだろう」と家についた頃には元気になり、今は死と生を考える会で活動しているのだという。
佐藤初女『おむすびの祈り 「森のイスキア」こころの歳時記』(集英社文庫)には、なぜ創設した場所にイスキア島の名前をつけたのか、イスキアにまつわる伝説が紹介してある。ナポリの大富豪の息子ですべてに恵まれた青年が、美しい娘と愛し合うが、愛が受け入れられ、満ち足りた思いも束の間、どうしようもない倦怠と虚脱に襲われ、以来何をする気にもなれなくなってしまう。子どもの頃の生き生きとした自分を取り戻したいと、子どもの頃に行ったことのあるイスキア島へ青年は再訪。廃墟となった教会の司祭館に住む。
「地中海に浮かぶイスキア島から眺める風景は静寂に包まれ、夜になると塔も城壁も月光を浴びて光り、一幅の絵のような美しさでした。この美しい風景を眺めながら、青年は自分自身を見つめ、新たな力を得て現実の生活に立ち戻ることができるようになりました。この物語から、私たちも、どうにもならない心の重荷を感じたとき、そこへ行けば癒され、自分を見つめ、新たなエネルギーを得ることができる、そんな場になってほしいと、私たちの家をイスキアと名づけたのでした。」
吉母の浜で明るい海を眺めながら、胸にある日々のささくれが静まる感覚があった。やはり場所の持つ力というものはある。
佐藤初女さんの、料理本には、身近な風物や草木、手仕事、料理に宿るイスキアの心が説かれている。
イスキアとは青い鳥の物語のようなものかもしれないと思いながらも、これを書きながら、いつかは海のそばに住んでみたい、と急に44年も住んだ海無し県から脱出したくなっている5月なのであった。

2014.5.17