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ケストナーの『人生処方詩集』を探したが見つからない。たぶん何度も買っているのに、一冊の痕跡すら見つからない。本屋にもない。仕方なくワンルームをひっくり返していると、『ケストナー短編 小さな男の子の旅』(小峰書店)が押入れから発掘された。
「小さな男の子」のフリッツは、入院している母に会うために、父が必死で用立てた母の手術代金を持って、(父には内緒で)パーゼヴァルカー病院に出かける。
母のお見舞いに花を買い、「おかあさん、しゅようができてね、ぼくはおみまいに花たばを持っていこうと思うんだ。あっ、りんどうだ。ぼくたちが庭のある家にいたとき、植えてあったよ。これをちっちゃな花たばにしてほしいな」
というように、ませた、というのでもなく、ひとなつこくよく話すフリッツは乗った電車の中でも大人をなごませる。そして、病院に無事について、衰弱した母に面会するのだった。「小さな男の子はねむっている顔に力なくほほえみかけると、かけぶとんの上にそっとりんどうをおいて、なでるように手を空中で動かしました」そしてフリッツを気遣う看護婦に「なおるまで、そばにいられたらな。ぼくがいること、ないしょにしておいて、ねむっているあいだだけ、ぼくが部屋をのぞくことにしたら…それはできないよね。ぼく、わかってるよ」と気丈に言いながらも待合室で「とても小さな、たよりなげな声で」ずっと泣き続け、「どうしたものかと立ちつくす看護婦さんの目にも涙が浮かびました」
ひっくり返した部屋の中で読む気にもならず、喫茶店で読み出したが、まずい、この本当に短いお話に、看護婦さんじゃないけど涙が出てきてしまう。
二つめは、亡くした母に心を寄せるあまり、「シュンタファーさんが今はニーリッツ夫人になって、だからあたしたちのおかあさんなんだって。そんなの思いつきじゃない?あたしがメルクさんのとこ行って、こんにちは、あたしきょうからここんちの子どもでマレーネ・メルクになることにします、っていうようなものだわ。わかる?」と墓地で人形に語りかける女の子の話である。
新しい母のリスベートは、婚礼の席を飾ったカーネーションを束にして、墓地にマレーネを迎えに行き、自分も母親のない子どもで、ずっとさびしく生きてきたことを話す。「そうやってどんどん年をとっていったから、おとうさんにあなたたちのおかあさんになってくれないかときかれてここへ来たの。あなたたちのおかあさんが死んじゃって、代わりの人が要るからじゃなくて、あたしが子どもをかわいがりたいから…あなたは自分がひとりぼっちだと思うでしょう、マレーネ。あたしはあなたよりもずっとひとりぼっちなの…」
リスベートの語りはもう少し長く、いわゆる、マターナルデプリペーション、母の愛を受けずに育ったために、友達にも恵まれず、周りになじめなかったという重い話である。子どもに対する告白としてはプレッシャーをかけすぎか?と今の感覚では思ってしまうが、母となる人の率直さに、マレーネカーネーションを亡した母の墓に供えることで応えている。リスベートとマレーネの二人の場面に、また涙を拭いた。
 しかし、この本を1996年の1月にこの本を読んでいる自分というものがいた筈なのに、実は何も覚えていない。子どもの頃は「ふたりのロッテ」などを楽しんで読んでいたが、二十代から三十代にかけては、ケストナーは、縁遠い作家になっていた。
 訳者あとがきによると、この作品が書かれたのは『エーミールと探偵たち』などを書きはじめた頃、新聞に掲載されたという。
 「ひとりっ子だったケストナーは母親の愛情を一身に受けますが、甘やかされた子どもではなく、貧しい家計をやりくりする母を助け、期待に応えようと努力する親思いの少年でした」と訳者の榊直子の紹介があるが、『エーミールと探偵たち』(岩波書店)には、訳者の高橋健二が、ケストナーの少年小説に対する姿勢として「彼はおかあさんの愛情と苦労、おかあさんにたいする自分の気もちを何よりも書きたかったのでしょう。そして、何よりも書きたいことを書いたのです」と書いている。
 

 『世界一あたたかい人生相談』(ビッグイシュー販売者・枝元なほみ 講談社文庫)は、販売員が路上生活者で、雑誌の売り上げが収入になるという自立支援を目指した雑誌ビッグイシューの連載が本になったものだ。販売員が「部屋をかたづけられません」、「実家の母に、もうウンザリ」などと寄せられた質問に販売員の人が答えて、料理家の枝元なほみも言葉とレシピを寄せている。
 (20代/女性/事務職)の「仕事がつまらなくて、すべてがむなしいです-販売者さんは、続けておくべきだったと思われることや仕事がありますか」という言葉に、「本当は相談に答えるような立場じゃないんです。僕の人生は、全部挫折してきて大阪・西成にたどり着いたわけですから。その時に人を愛することをやめたんです。友達も作らず十何年間生きてきた。愛することがないから愛されることもなかった」と五十を過ぎた販売員のAさんが回答を寄せている。「若い頃、西成に来て、一人でいると楽だったけど、でも、どこかでむなしさも感じてました。今は、自分のためにではなく、人のために何かできないかと思っているんです。今も、決して幸せな生活ではないし、大変ですけど。」
 誰にも愛情を持たないというのは、普通の生活者では、不可能に感じることだろうけれど、生活が荒れ、誰にも今の自分を深く知らせたくないという負のスパイラルに陥った時、人は誰しもそうやって自分を護るのだろう。
 「偉そうに人に言えるような人間じゃないないんですけれど、あなたも何かを愛することができれば、きっとやりたいことも見つかるし、すべてが変わってくるんじゃないでしょうか」
この生きてきた厚みを感じる回答に、添えられた枝元なほみのレシピは玉ねぎサラダ。「「むなしい」って、気持ちの不完全燃焼なのかもしれないなぁって思ったんです。(中略)続けなくちゃいけないことを大事にしているうちに、なんかふっきれるといいんですけど」
玉ねぎを刻んで泣いてみては?と冗談めかして書いてあった。
 病の床のお母さんの姿に泣いた小さな男の子フリッツのように、何かのために泣くことも、時には人生の薬になるんだろう。今回読んだ本は、期せずして、泣かない人生の処方箋になる二冊となった。
2013.12.4