焼き菓子の魔力

実家に帰ると、大抵明け方頃、台所のほうからモーター音がしてくる。母がフルーツケーキの生地をミキサーで攪拌しているのだ。
昭和五十年代、台所にガスオーブンが普及するに伴って、日本の家庭に、おはぎやまんじゅう以外の、手作りお菓子ブームが起きた。城戸崎愛、今田美奈子、森山サチ子らによる初心者向けの本は、今でもチェーンの古本屋でよく見かけるが、そのどれもが夢のある内容ながら、プロセスカットが懇切丁寧なのが特徴的だ。
昭和四十四年生まれの自分が、小学二年生の時、両親が四苦八苦してバターロールを作ったことがあった。今思えばガスオーブンが家に来たからだったのだろうか、風呂場を行ったりきたりして、てんやわんやの大騒ぎは覚えているが、肝心のパンの味はどうだったのだろう。顛末を作文に書いたところ「バターロールは家でも作れるのですね」と先生がコメントをしてくれた。パンといえば食パンか袋パンをイメージする時代に、手作りに挑戦してみるとは、若かった両親のハリキリぶりが微笑ましく感じられる。
そして時は流れ、家庭の状況が手作りのお菓子どころではなくなり、熱中したら命がけになる母は、パートタイマーだというのに、家に職場の機器を持ち込んで、朝から晩まで螺子を切り出したり、検査をしている時代があった。そして仕事の合間に大病を二度ほどして、祖母の長い介護時代に突入。そしてこの時期から、小さなオーブントースターで、やたらフルーツケーキを焼くようになった。
昔から、作りはしないが本だけは欲しがる自分が、小学四年生の時に買ったまま台所に放置した本のレシピが、今の母のケーキの基本だそうだ。昭和50年頃の主婦の友生活シリーズの本で焼いていた時は、イギリス式なのか、ブランデーに漬けたオレンジの皮を刻んだものや干し葡萄でずいぶん重たい、羊羮のような味わいのものだったと記憶しているが、今はパウンドケーキのような感じである。
 これを焼くために母は柑橘の皮を年中探し回り、ないとなると、業務用食材店のオレンジの皮の蜜漬けを買い占め、「売り物でもないのに金をかけて…」とケーキの匂いだけかがされるだけで、なかなか口には入らない父を嘆かせている。
 いつだったか、料理家の栗原はるみがタルト・タタンを料理記事に載せるため、短期間に百を越える回数を焼いて試行錯誤している様子をテレビ番組でやっていたが、焼き菓子には、何か人をつかまえてしまう魔力があるのだろうか。
 つい最近、そのタルト・タタンを30年以上焼き続けて、フランスの協会から表彰も受けた松永ユリさんを紹介した番組を見た。何と松永さんは亡くなったということだ。ラ・ヴァルチュールのタルト・タタンは評判が高かったので、いつも春、京都の古書まつりに行くたび「近くだからいつか行ってみよう」と思っていたのだけれど。タルト・タタンはお孫さんに引き継がれ、りんごを干し柿のような食感に煮あげ、深い飴色に輝くお菓子はこれからも味わえるようだ。
 母は早朝に焼き菓子を焼くことで、長い介護の続く中、ささくれていく心をなだめてきたのかもしれない。ボールにぶつかるビーターの音を聞きながらそんなことを思った。
2014.8.23