手料理と人生史

数年前、電車待ちの間に「奥様は大学生」という香川京子が主演の映画を見た。学生結婚にまつわる一騒動という設定の話だったと記憶している。
夫役の木村功が、やっと大学は出たものの、実務にはてんで役にたたないサラリーマンを演じていた。妻役の香川京子が可憐すぎて、木村功は新卒サラリーマンという設定なのに、中年の悲哀を滲ませていた。
 勉学と家事がうまく回らないことに、シリアスに悩むヒロインのそばで、お気楽に振る舞う女子大生役が中村メイコだった。愛想がよくて料理上手な上、ちゃっかり彼氏もいるという役柄がぴったりで、「女子大にもいたなぁ、こういう子」と思わせるリアリティーのあるコメディエンヌぶりが眼に残っている。
 本屋に出ていた新刊『メイコの食卓』(角川書店)を読んだところ、中村メイコは二歳半で女優になって八十年近くが経つという。「懐かしいあの味」の章には、女優を引退して専業主婦になった母が疎開先で炊いてくれた芋の蔓の味や、コーリャン入りのご飯を食べたことなど、体験した人にしか分からない描写力で当時を語り伝えている。
 「母は蔓についている小さな葉をとり、こまかなヒゲのようなものを丹念に洗い流してから、少しの時間、水に浸けていました。すると、ちょっとゼンマイみたいな感じになります。それを茹でて、さっと油で炒め、塩・コショウをしてできあがりです。油はたしか菜種油だったと思います。貴重品ですから、ごく少量使っただけだったのでしょう。見た目は、今でいうパスタです。油を含んで、つややかな赤紫色に仕上がります。薩摩芋の味はするけれど、かなり筋張っていたかもしれません。それでも、甘くて、歯ごたえがあって、とてもおいしくて、台所に立つ母の姿とともに今もなつかしく思い出します。」
 小学生の頃、学校園のいも掘りの後、学校で飼っていたウサギのえさに、芋の葉や蔓を食べさせたが、確かにそんな形状だった。きっと中村メイコは、はっきりとした映像で、記憶を再現できる人なのだろう。
 父である小説家の中村正常は、戦争中に筆を折ったという。喫茶店を開いて砂糖を貯め、家族で生き延びることに知恵を使った。そんな父母の影響で娘は料理の腕を上げた。
 「奥様は大学生」の料理上手という設定は理由があったようだ。「チキンライスは手早さで勝負」という章では、かつて田村町にあった「メイゾンメイ」という両親の開いた洋食屋で、週末だけコック長から料理を習ったと記している。
 「鶏肉や玉葱のみじん切りなどの具は、あらかじめ炒めておきます。そして、熱したフライパンに油をひいて、油が熱くなったら冷やごはんを入れ、パパパッと炒めて塩・コショウをして、ケチャップを少量入れて、玉葱と鶏肉などをパッと投げ入れて軽く炒める。それを型にチャチャッと入れて、お皿にポンと載せて、あとはグリーンピースをポンポンポーンと飾っておしまいです。チキンライスの肝心要はスピードと大胆さらしい。
 中村メイコは、また仕事と家庭を両立したスターの走りだった。家族や友人たちとさまざまなことを分かち合ってきた人生に満足しつつ、才能を燃やし尽くして早世した友人、美空ひばりに対して羨望の気持ちを隠さず書いているのが興味深い。
 そして美空ひばりも、家庭を築いた中村メイコに「私もあなたと同じくらい飲んできたのに、あなただけ病気になって…」と声をかけられ、「メイコ、それは違うよ。あんたが飲みすぎると、神津サンや家族の誰かが、そろそろ寝なさい、とか、そんなに飲んだら、ママ、みっともないよ、とか言ってたもの。(中略)私はね、メイコが帰ってから明け方までずっと飲んでいたの。メイコの倍は飲んでいたのよ」と内心を吐露したこともあったらしい。
他人から見たら、妬まれるほどの才能を生かすことよりも、穏やかな家庭をつくることに心を砕いた日々が、どこか切ない読後にさせる『メイコの食卓』だった。
2014.4.25