鏡花と旅行笑話

 JR大垣駅で電車を待つことがあり、隣接するショッピングモールの書店に寄ると岩波文庫の『鏡花紀行文』(田中励儀編)が目についた。このところ、世間が休みの頃に仕事が立て込むのだが、今年はまとまった代休もとれないようだ。旅に行かれない憂さ晴らしに、お盆はこの本を読んで過ごすことにした。
 泉鏡花について小村雪岱が書き残したものには、「大体に潔癖な方ですから生物を食べなくなつてからの先生は如何なる例外もなくよく煮た物しか召し上がらなかつた。刺身、酢の物なとは、もつてのほかのことであり、お吸い物の中に柚子の一端、青物の一切が落としてあつても食べられない。大根おろしなども非常にお好きなのださうですが、生が怖くて茹でて食べるといつた風であり、果物なども煮ない限りは一切口にされませんでした」(『日本橋檜物町』(平凡社))などと飲食に関しては、大変な世話がかかったようだ。
 明治、大正の旅行となると今のようにお客の要望にたいして至れり尽くせりというわけにもいかなかったように思われるが、一体、そんな潔癖症を抱えて、どんなサバイバルを駆使して旅に臨んでいたのだろうか。
 『鏡花全集』の中で「婦女界」に「夏期に於ける名家の嗜好食物と旅行中の珍味」というアンケートに「一、あつい番茶。煮た小魚。総てに煮た熱い物而して調理より何より蝿のたからぬ事。一、四年前の八月、二見の浦で食べた鯛塩焼き、うしほ。」と答えているが、アンケートの趣旨にそわない答えを出すほど蝿には常々困らされていたのだろう。大正十三年に「女性」が主催した旅の座談会で、昼食に使った旅館への茶代が厄介だという話題で盛り上がっている中で「これは一寸話が違ひますが、宿屋の広告に待遇親切とか、風光明媚とか云ふようなことはありますが、蝿を駆除するといふ文句は見たことがありませんね。どうもどこへ行っても、蝿については無神経ですねエ。」と、ここでも全く話の筋と関係のない蝿についての苦情を急に持ち出している。土地の味の話になっても「土地へ行つてその土地の食べ物に共鳴しないと旅行者の資格が無いといひますが、どうも生の芋萸を刻んで酢をかけたのを出されたりすると、如何にも食へませんな。」などと座談の趣旨に合っているのか分からない発言が主で、「泉さんは火の通らない物は全然めしあがらないのですか?」 久米正雄に聞かれて「全然と云ふ訳でもないんですがね…」と言った口で、田山花袋の「海岸の取り立ての魚の刺身でもいけませんか。」という続けての質問に  「エーどうも食べません」となまもの全否定をしているのには笑う。
 座談会が「旅行笑話」となっていたが、「私はね、一人で行くと、おみおつけを二人前注文しましてね、鍋を持つて行つて煮立てゝ食る、さういふことにしましたがね、大変工合がいゝ」などと頓狂なことを言っているのは鏡花ただ一人の印象だ。
 お茶は熱いのがいい、味噌汁をたっぷり飲みたいと言い暮らし、世間にインフルエンザでも流行すれば、家にずっと籠るという鏡花だが、小村雪岱の「泉鏡花先生と唐李長吉」によると、鏡花は「東海道中膝栗毛」を「いろ扱い」するほど好んでおり、昭和十四年に死ぬ頃まで、寝床の側に置いていたのは李賀の詩集だったという。老大家の域になった昭和二年に新聞社の依頼で十和田湖を旅しているが、『鏡花紀行文集』に収められた「十和田湖」には、海辺の情景や深山などの自然の描写、茶店に現れるの人物の様子は『高野聖』や『歌行燈』の世界を思わせる書きぶりだ。
 凡そ冒険とは程遠い生活をしつつも、作品となると、危険探索遺伝子にでもつき動かされているとしか思えない物語を残した泉鏡花。古典的とか魔物や耽美で形容されない、例えば座談会で見せていたような側面のある、違う貌の作品をもっと読みたいものである。

                             2014.8.18