おばあちゃんの料理が語ること

『さらば富士に立つ影 白井喬二自伝』(六興出版)によれば、作家になる前の白井喬二は、故郷鳥取の友人と、神田錦町に出版社を設立した。そこで、毎日原稿を書き、疲れると窓の外の「松葉屋染物店」の紺のれんを見て目を癒した。この染め物屋に京都からときどき遊びに来る令嬢があった。土佐の勤王武士で明治天皇の学友という中島錫胤を父に持つ、後には井上鶴子となる中島鶴子である。白井は「ぼくはだいたいキッスは嫌いだが二度ばかりあった。そのときもハンカチを唇に当てその上からだった。ぼくの論理は、もしぼくが結婚前にポックリ死ぬようなことがあった場合、彼女は新たな男性に対してひけめを背負うことになるだろう。それを防いでやるのだ。」という、いっぷう変わった自分流を通してめでたく妻にする。
   そして、大正三年一月十八日、新婚の夜、白井は鶴子にこう宣言する。「ぼくは、女性が柔順であることを望むけれど、それは盲従ではない。盲従では長くつづかないからね。だから妻は妻たると同時に自分の意志をもつ人間になってもらいたいのだ。具体的にいうと一日中台所にかかりっきりだったり、また、針仕事を終日畳の上にひろげっきりというような生活は賛成できない。要は隷属物では困るということだ、分かるでしょう」
   結婚から十一年目、好評のあまり連載が四年も続いたという「富士に立つ影」を始め「新撰組などの作品で人気作家として揺るぎない地位を得た白井喬二は、「大衆文芸」という雑誌を立ち上げ、多忙のあまり胃を悪くした。
  この時鶴子は「あなたの胃病を根底から治すために食餌療法を身につけたい」と「佐伯栄養学校」に通うことを宣言し、「味はどうも頂けないね」と白井に言われながらも「単位式栄養料理」で夫の胃病を治したのだった。
  2003年に井上よしみ(次男の妻)の編集で『おばあちゃんの「直伝」ほんもの料理術』という鶴子の著作が復刻されている。巻末の鶴子の経歴に「「家庭料理にこそ栄養学的な視点を」と考え、佐伯栄養専門学校入学。1937(昭和17)年単身アメリカ遊学し現地の生活を体験、料理をはじめとする異文化理解を深める。」とあり、先取な気質の持ち主だったことが伺える。
 鶴子の献身もあって、この時期の白井は、全力で新興文学に力を尽くした。作家三十余名に声をかけ、『現代大衆文学全集』を、当時は内情が苦しかったという平凡社から出すと決め、自ら編集し、内容見本をつくり、予約を取りつける段階では、車で本屋を回り、初版三十三万部を売った。失敗したら「筆を折って故山に骨を埋める」という覚悟を胸に秘めていたという。
そしてこの頃、先の経歴にもあったように、鶴子もアメリカで料理を学ぶことを白井に申し出て、ホームステイで、一年間料理を学んだ。結婚の日の「夫の隷属物では困る」発言を種子とすると、鶴子の自立心と実行力は白井の想像を遥かに越えていたようだ。
『さらば富士に立つ影』の「亡妻記」として、妻への追悼も載せられている。「結婚式の当夜ぼくの要望した「女の独立」を彼女は次ぎ次ぎと実現した。そのためぼくは少なからず苦労した。ぼくにとっては要望した妻よりも何もやらない凡女妻のほうが望ましかった。男子一生の仕事というものは、むつかしい。緊密にいえば家庭の協力者は平凡妻にかぎるようだ。実際は賢妻よりも凡女妻の方が、さがし当てるのがむつかしいのかも知れない。」
あまりにも正直すぎる告白に苦笑する。それでも、亡妻記の半ばに、忙しかったために、本来は諧謔に富んだほうの自分が「無口に過ぎた」ということの悔いが記されている。鶴子は、少女の頃から「金鶴香水」を使っていたが、ある時白井は、何も言わずに、それよりもっと高級な香水を買って鶴子の机に置いた。鶴子は中年になってから、「ショックだった」と告白し、白井は「無口に過ぎた」ぼくの失敗談としている。
最近、香水をつけない妻に、「あの人もつけてるから」などと身近な女性の名前を出して、香水を贈ろうとした夫が「そんなもの絶対つけるか!返品して!」と怒鳴られるという記事を何かで読んだが、こういうことは夫婦にはありがちなことなのだろうか?
しかし、夫婦揃って強烈に濃い人生を送っている中で、比重で云えば、些細にすぎるエピソードを、ずっと白井が覚えているというところに妻への特別な気持ちを感じる。
先の『おばあちゃんの「直伝」ほんもの料理術』に、鶴子の流儀では、正月三ヶ日に毎日お雑煮を変えて作るという項があった。
元旦にはすましと松茸、二日目は白味噌と八頭、三日目はブリ雑煮とあるが、そんなことをわざわざする家は、今も昔もそうはないと思われる。これは井上鶴子のそれぞれのルーツを大事にする気持ちが料理に反映されたのだろう。白井は鶴子の出版物を読んでいたのだろうか。おばあちゃんの知恵袋的な本の中に「男の味覚は案外鋭いものです」という記述を見つけ、胃病の治療食に「味はどうも頂けないね」と言った白井の姿が重なる。井上鶴子の料理本も、読めばよむほど、いろんな発見のある「直伝」なのであった。

 『おばちゃんの直伝「ほんもの」料理術』(主婦と生活社.2003)   2013.11.10