大統領に捧げたニンジン 

 女性シェフ、オルタンス・ラボリが、エリゼ宮のプライベートシェフにスカウトされ、ミッテラン大統領に最初に出したのが、サヴォワ産キャベツとサーモンのファルシだった。「ちりめんキャベツ」と字幕にあったサボイキャベツは、日本でも最近は見ることがあるが、どうやって料理するかまでは知らなかった。キャベツの層にサーモンを挟み、布巾で赤ん坊をくるむように包んでゆっくりゆっくり火をいれることで、甘い汁がたっぷりの御馳走になる。切り分けたキャベツのそれはそれは、おいしそうなこと!料理をするオルタンスの手つき、朗らかなレシピの暗誦が、またご馳走の一部になっていた。
   オルタンスがエリゼ宮にスカウトされた時期は、1980年代後半だが、もうエリゼ宮の厨房は機械化が著しかったようだ。彼女が案内されたキッチンには、食材の内部の温度が計れる真空調理器や、スチームオーブンが揃えられていた。しかし、オルタンスがキャベツを煮るときに使う、昔ながらの布巾を所望しても、伝統より合理化を目指すエリゼ宮の厨房にはないのだった。オルタンスは「15分で戻ってくる」と自分の宿舎まで走っていって、布巾をとってくるのだが、このこだわりぶりが、食を愛する大統領に通じないわけがない。
   最初の皿が下がってくる場面で、オルタンスは、大統領はつけ合わせの人参をどうしたかと給仕達に詰問している。給仕長が、大統領は最初に人参を見て驚き、葉をつまんで香りを味わっていたと答えた。彼女は給仕長に「いい点をあげるわ」と深く満足していたが、キョトンとしていた若い給仕達のように、私も頭にクエスチョンマークをつけて観ていた。
 オルタンスは自らが農場主でもあるので、食材を探究することについては、人一倍情熱的である。料理は、専門に学んだわけではなく、祖母や母に教えられたことが知識の源になっているようだ。大統領が、最初に出された料理について、オルタンスに感謝を伝え、自分の理想の食膳について語りかける場面がある。曰く「素材の味を感じたい。本物のシンプルな味を。祖母の味さえあれば私はとても幸せだ」
   大統領と料理人という、それぞれが異なる場所で生活をしてきた二人が、ロワールの葉つき人参だったり、一皿のスープによって、言葉を交わすよりも深く理解しあっていく。大統領のために渾身の力をふるって料理するボスの姿に影響され、最初は冴えない風だった助手のニコラも、次第に、自分にしか出せない味を求め研鑽し、非常にいい顔になっていく。
 ミッテラン大統領は、子どもの頃からエドワール・ニニョンの『フランス料理讃歌』を愛読し、レシピのいくつかは暗誦できると、目を輝かして、無邪気に言うのが面白かった。
 ニニョンといえば、最近、1960年代から、フランス料理を日本で紹介してきた辻静雄の著作が辻調理師専門学校から復刊されている。ニニョンについての文章も、きっと収められていることだろう。辻静雄がフランス料理の稀覯本を買い集め、フランスのビストロを訪ね歩き、歴史に残るシェフ達の仕事について見識を深めていた頃、日本国内には辻の仕事を理解する人は殆どいなかったと思われるが、彼は、食の探究を通じて、M.F.Kフィッシャー、サミュエル・チェインバレンという食の哲学者ともいうべき人々と出会った。
その、人生の糧となる出会いの喜びは、辻のさまざまな著書に、繰り返し語られている。
 食に対して非常な情熱を持っていたミッテラン大統領も、多忙で窮屈なエリゼ宮の暮らしの中で、オルタンスという稀有な料理人と食によって通じあい、味覚によって、子どもの頃に還るというひとときを得た。大統領が近しい人々を招いた食事会。ニニョンの著書を大統領に贈られたオルタンスがニコラの前でゆったりと読み上げて見せるのが微笑ましかった。
  この映画自体は、後年、南極の基地での勤務(!)を終えようとしている何故かメランコリックな表情のオルタンスが繰り返し出てくるので、単なる料理人の成功譚にはなっていない。しかし、見ず知らずの隣席の人が「いやー、どこのおばちゃんはすげぇ」といみじくも呟いていたように、田園から出発したマダムの野心が、黒トリュフばりに輝いて見えた作品だった。
 この話のモデルとなったダニエル・デルプシュは、70才の今も農産事業に忙しく、過日は来日してTV出演もこなしていたという。インタビューでは、エリゼ宮で経験した辛い思いもこの映画で晴らすことができた!と明るく語っていたようだ。それは、何よりである。 2013.10.25 映画「大統領の料理人」